最近、「名もなき家事」というキーワードが巷で話題になっています。
夫婦で「家事シェア」が始めた家庭で、夫は「名のある家事」だけやって、「俺は家事やってる」とドヤ顔し、妻はそれに対して不満を募らせるというストーリーです。
この「名もなき家事」について、色々不満がある背景には、「名のある家事」が「おいしいとこ取り」だからではないかと考えました。
例えば、「名のある家事」の代表格、「ゴミ出し」について、そのプロセスの大まかな全体を洗い出してみると、下の図の様になります。
この様に、「ゴミ出し」でも、一番最後の「ゴミを出す」までに様々なプロセスがある事が分かります。
特に精神的に負荷の掛かるのが、最初の地域のルールを知り、方法を決め、都度ゴミを出すタイミングを意識している事です。
これらの負荷に全く貢献せず、最後のゴミ出しだけ言われたらやっているのでは、全体のプロセスのほんの一部しかやっていないのです。(10%程度?)
それなのに、このゴミを出すのは外でする為、他人からも見られます。
(妻は外に出るのが嫌だから夫に頼むという背景もあります。)
その結果、外でゴミを出しているだけで、これらのプロセス全体をやっているかの様に他人からは見えてしまう。
まさしく「おいしいとこ取り」ですね。
この状況をサッカーで例えると、オフサイドルールのないサッカーでゴール前でずっと待ち続け、仲間が苦労しても一歩も動かず、最後の「シュート」しかしない。そんなプレーヤーではないでしょうか?
他の家事でも「料理」では、「買い物」から「後片付け」などの全体プロセスのほんの一部の「調理(しかも焼くところだけ!)」しかしないと、「おいしいとこ取り」になってしまいます。
特に女性はこういった協調性を重視する傾向が高い為、こういった「おいしいとこ取り」に対しては非常に厳しい目で見る場合が多いようです。
家事をやっているはずなのに、パートナーから不満が出るのは「おいしいとこ取り」だからなのかもしれません…
コメント